私の子ども時代 (1)

子どもの才能が開花する「わかば音楽教室」

加山佳美です。

私について少しずつ書かせて頂きます。

千葉県旭市生まれ。

3歳頃から千葉市在住。

4人兄弟(姉・弟)の次女。

両親と祖母の7人家族でした。

3月生まれということもあるのでしょうか・・・

「とろくて、おとなしい子」でした。

・言いたいことが言えない

・食べ物の好き嫌いが多い

・食が細い

・(扱いが)難しい(と良く言われました)

2歳上、学年は1つ上の姉は正反対。

活発でハキハキして運動神経も良く絵も上手。

良く比較され、余計に私はひねくれていました。

幼稚園に入っても、お弁当の完食は無し。

入園してから半年は誰とも話さず。

かけっこも びりから2番目。

そんな私は小学校へ行っても余り変わることはありませんでした。

5歳頃から習っていた「ピアノ」は姉と一緒に通っていました。

小3の時、

「音楽集会でピアノの伴奏を弾いてくれる人〜?」と先生が皆に問いかけました。

私はすっごくすっごくやりたかったのだけど、自信も有ったのだけど、

手を挙げられませんでした。

心の中で

「だれかぁ〜・・・私がピアノ習っているのみんな知っているでしょ!!

誰か言って!お願い、誰か言って!」

心の叫びは 届かず、

その時に決まった他のクラスの女の子が小6まで伴奏係となり、

チャンスがまわってくることはありませんでした。

(しかも、その女の子にいじめられるという・・・)

小学校高学年くらいで、身長は平均的になりました。

運動はダメでした。

びびりだったので、まず球技はダメ。

あ、水泳だけはこそ練したので 選手コースでした。

これも姉の影響。

習い事ブームということもあり、

ピアノ、

お絵かき、

英会話、

習字、

プール、

公文、

色々行って居ました。

あ、違うなと思ったものは学年が上がるにつれ、

辞めて行きました。

最後に残ったのは

習字とピアノでした。

かといって、「ピアノ教室」の中で優秀な方でもなく・・・でした。

一番初めに習った ピアノの先生は 家のすぐ裏でした。

その先生が海外留学される際に、教室の中で優秀な生徒さんは

先生の先生にご紹介されたそうで・・・

私を含む他の生徒さんは代替えの先生来て、

レッスンを受けることが出来ました。

それを数年後に知った母に火が付きました。

続く・・・。

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加山佳美

「わかば音楽教室」主宰。ピアノコース・リトミックコース(グループ・個人)講師。「音楽」を楽しく継続出来る様に個々の成長に添って向き合っています。24年の講師経験から生まれたオリジナルのメソッドでどんな生徒さんでもその才能を開花させ・伸ばしてきました。 そのメソッドを「音楽講師養成講座」でお伝えしていきます。

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